青空の広がる良き日に多くの方に立ち会っていただき、法要を開催させていただきました。
祥月月忌法要における新型コロナウイルス対策と致しまして、
納骨堂内の出入り口、窓の常時開放
テントを設営し、納骨堂外でのお焼香台設置
サーモグラフィーカメラでの検温、消毒液自動噴射器設置
スタッフのフェイスシールド装着を徹底することにより、
皆様に安心してお参り頂けるように致しました。
来月の法要も皆様のお越しをお待ちしております。
また、YouTubeにて法話の様子も公開しておりますのでご覧ください。
⇓ こんな法話をいただきました ⇓
10月に入りまして中秋の名月が1日にありました。
ご覧になられた方も多かったのではないかと思います。
私事ではありますが、ご縁をいただきまして
福井新聞さんの月間「Fu」に8,9,10月の3月に亘って
【とはずがたり】を連載させて頂きました。
10月はお月様の事を題材にして書かせて頂きまして・・・
皆さんもよろしかったら見てくださいね。
その中では「誰かのお月様である事」
そういう題名で書かせていただきました。
昔から古人達はお月様を題材に色んな詩を詠まれていたのでございます。
特に中秋の名月を題材にしたものは多く、
有名なのはやはり松尾芭蕉の
名月や 池を巡りて 夜もすがら
この歌は皆さん何かしら聞いたことのある詩かと思います。
中秋の名月の月があまりにも綺麗で、
それを眺めて庭の池を歩いていたらいつの間にか朝になっていた。
という状況を詠んだ詩です。
こんな素晴らしい心境今の時代には
学ばなければならないなと思うのであります。
色んな心を無くすと書いて”忙しい”と言いますが、
もっと言いますと、コロナの状況、またはテレビを見ていますと色んな心傷めるような事件が入ってきます。
さぁ、そういう中でもう一度姿勢を正して自分と向き合っていく中で初めて大事なものというものが見えてくるのです。
我々全禅宗では・・・
自然と一つになって自分の人生の生き方
豊かに生きる方法を学ぶこと
ということを大事にしていわけであります。
その中で有名な浄土宗の開祖である法然上人の詠まれた詩が
月影の いたらぬ里は なけれども
眺むる人の 心にぞすむ
という詩です。
月影とは月明かりの事です。
浄土宗でいえば皆さんのお慈悲の光とも・・・
我々禅宗でいえば我がこの素晴らしい心といえます。
月影が届かない里・場所はないよ。
もっと言えば、みんな一人一人素晴らしい心を持っているのです。
ただ、眺めた人しかそれに気づきくことができない。
心にぞすむというのは”澄み渡る”の澄みと書きます。
これは、
眺めた月によって心が”澄んでいく”
そういう仏の心が皆さんの心の中に”住んでいる”
二つの言葉が掛けられているのです。
そういう中で考えていきますと、
やはり我々はこうやって、
人に照らされていくということということはよくあります。
例えば、みなさんの身の回りにもこの人がいるだけで和むという人がいると思います。
私には有り難いことに沢山います。
家族ももちろんそうですが、
私はお寺で育ちましたので、麓のお檀家さんたちが私を小さいころから育ててくれたんだなっと今になって分かることがあるわけであります。
そういう中で一人、Mさんという女性の方がおられました。
まぁ笑顔の素敵な方でして、私は大好きでして・・・
小さいころ学校にいつも行く時は「行ってらっしゃい!」といつも私を見かけると声をかけてくれるのです。
そして、帰ってきたら「お帰り。今日の学校はどうだった?楽しかった?」と声をかけてくれるのです。
本当にありがたい事でございます。
落ち込んで歩いていると叱ってくれるわけです。
「なにどうしたの?なんかあったの??」
と聞いていろいろな話を聞いてくれたのです。
今思うと温かい方々に照らされながら生まれ育ってきたのだな・・・っと思うのです。
修行道場に行って帰って来た時もいろいろと相談にのってくれたものです。
そしてそのMさんのお家にお参りに行くわけですが、楽しいのです。
何が楽しいのかというと、
Mさんは話が面白いのです。
絶対に人の悪口を言わないのです。
自分が今日一日喜びに感じたことを楽しそうに話してくれるのです。
その為、Mさんの周りには自然と人が集まっていました。
そんなMさんにはお孫さんがいました。
そのお孫さんはおばあちゃんっ子でお参りの時にいつもお話を一緒にさせていただいたのです。
そんな時、Mさんが結婚50周年でご家族と温泉へ旅行に行ったそうです。
そのお祝いから帰ってきて1~2週間した時でしたか・・・
突然亡くなられてしまったのです。
私はびっくりしました。
輝いてる人が亡くなった落胆というのは中々ないですよ・・・
今ここに明かりがついていますが、
これがドーンと明かりが消えたらやっぱりみなさん反動というのは大きいですよね?
お孫さんはおばあちゃんっ子だったのでいつもおばあちゃんの側に居たのです。
心配になって枕元にいたお孫ちゃんを見に行くと顔をぐちゃぐちゃにして悲しんでいた。
私は一生懸命枕経でお経をあげて帰り際に
「和尚さん。今日おばあちゃんの横で寝てもいいですか?」
と言ってきたんですね。
「いいよ。寝てあげて。」
そしたら、後から聞いた話ですが
布団を自分で持ってきてですね
おばあちゃんの横で手をつないで寝たのだそうです。
それくらいおばあちゃんっ子でした。
私でさえおばあちゃんっ子でしたがそこまでできませんでした。
「この子はそこまでMさんといろんなことがあったのだな」
と思いました。
そうするとやはり落胆が大きいわけです。
そして葬儀が終わり、7日参りあるわけですが
おばあちゃんの話をお孫ちゃんと一杯しました。
元気になってほしいなと思って・・・
皆さんも家族動物の死が受け入れられないことがあると思います。
そして49日迎えた法話の時です。
終わった時にお孫さんに聞きました。
「Mさんの言葉で一番心の中に残っているのは何?」
お孫さんはこう答えました。
「ん~やっぱりこれかな?
”行ってらっしゃい”
”お帰り”
”お腹すいてないかい?”
この3言が私の心に残ってます。」
どうして?っと聞くと
「こんなに自分を気にかけてくれている。
支えてくれている人が側に居てくれたのに
亡くなってようやく気付くなんて私はバカ者です。」
といったのです。
私はそうじゃないよっと言おうとしたら、
「でも」と言ったのです。
「でも、ようやくわかりました。
おばあちゃんが私の中に生きているっという話を和尚さんはずっとしてくれましたよね?
ようやくわかりました。
私が次に家族の中でその役割を担っていこうと思います。
お父さん・お母さん・家族に
”いってらっしゃい”
”おかえり”
こういう言葉を日々、掛け続けていこうと思います。」
そういわれた瞬間に、
「あぁ、お月様のようだな」
と思いました。
お月さんは自ら輝いてるわけじゃないんですね。
太陽の明かりを頂いて、
そしてそれを自分だけのものにせず
照らしかえして私達に下さっている。
自ら輝くこれが私達の
月影の いたらぬ里は なけれども
眺むる人の 心にぞすむ
自分を輝かせて生きていきたいなと
そうつくづく思ったお話であります。
今日は少し長くなりましたが、
不安・ストレスあると思いますが、
自分の安心だけを求めるのではなく、
誰かのお月様であること。
そういうものを望むのも、また
一つ皆さんの日々の安心に繋がっていくのではなかろうかと思います。
今日はお参りいただきまして本当に有難うございます。
お気をつけておかえりください。
《次回の法要の日程をお確かめください》
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