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人類によって絶滅した生き物たちの悲劇

私たちの住む世界はさまざまな生命や自然環境の豊かさにみちあふれ、その恩恵を大いに受けて成り立っています。
 
そして歴史と共に物質的にも精神的にも豊かになり、多くのものを私たちは手に入れてきました。
 

 

一方で、豊かさを手に入れることと引き換えに失ったものも数多くあります。 
とりわけ産業革命以後は、私たちの生活が一気に近代的なものに進歩を遂げ、飛躍的に豊かになった一方で、 
環境問題や都市問題など私たちの生活を脅かす事柄も生まれてきました。

 

生物の多様性もその1つです。 
私たちは驚くほどたくさんの生物に囲まれて生きているように思われますが、実はすでに絶滅してしまったものもあるのです。
 
 

ここでは私たちが豊かさと引き換えに失ってしまったもの、
特に産業革命以後に、人類の発展・進歩が原因で絶滅してしまった動物たちについて見てみたいと思います。
 
産業革命の功罪
  
まずは、多くの点で現代社会の基盤を築いた重要な時代、産業革命が私たちの世界に与えたもの、その功罪を考えてみましょう。
  

産業革命の功績
 
まず第一は、産業革命期に成し遂げられた技術革新です。蒸気機関や繊維機械、鉄道など、多くの新技術が開発されました。 
これらの技術革新は、産業のみならず、交通や通信などさまざまな分野に大きな影響を与え、私たちの生活を一変させていきました。
 

そしてこのような技術革新によって、生産性が飛躍的に向上し、経済が大きく成長しました。
大量生産が可能となり、商品の価格が下がり、消費者が手頃な価格で多くの商品を手に入れることができるようになったことで、飛躍的に豊かさが増大し生活が豊かになったのです。
 
このような豊かさのなかには、生活水準の向上も含めることができるでしょう。医療の進歩や教育の普及、住宅改善など、生活の質が向上しました。
 

さらに、工場や鉱山など、新しい産業が多数生まれたことで、雇用の機会が増えました。
このように雇用の機会が充実したことで、農村部から都市部への人口移動が進み、都市の発展が促されました。
 


 
産業革命が引き起こした問題点
 
このような大きな発展と進歩は非常に大きな恩恵をもたらした一方で、私たちの生活や地球環境に大きく影を落とすような事柄も引き起こされてきました。
 

長時間労働や低賃金、危険な作業環境、児童労働などといった、労働条件の悪化がその代表例の1つです。 
また、急速な都市化により、都市部では過密状態が生じ、衛生問題や住宅問題が発生しました。
これにより、伝染病の蔓延や貧困層の増加が見られました。都市問題の発生や社会的不平等の拡大が引き起されたのです。
 

そしてこの記事においても最も関わりが深く、また最大の悪影響であるといえるのが、環境破壊です。 
産業革命に伴う工業化は、大気汚染や水質汚染、森林伐採など、深刻な環境問題を引き起こしました。 
そしてこうした環境破壊や生き物にとっての生存環境の変化によって、数多くの種が絶滅し、失われることとなりました。

 

これらの環境問題は、ご存じのとおり現在に生きる私たちが抱え続ける課題でもあります。
 
人類によって絶滅した動物たち
 
このようにして、産業革命が私たち人類の生活を大きく飛躍させた一方、同時にさまざまな問題が引き起こされ、 
特に地球環境の破壊は、種の絶滅という取り返しのつかない出来事の引き金となりました。
ここでは産業革命以後絶滅した動物の一例を、具体的に見ていきましょう。
 

1.ステラーカイギュウ
 

 
ステラーカイギュウは、北太平洋のバレンツ海やアリューシャン列島周辺に生息していた巨大な海牛で、最も大きな海牛の一つとされています。
 

ステラーカイギュウは全長が約7~9メートルに達し、体重は約10トンにも及びました。 
非常に大きな体を持ち、重厚な外観が特徴です。
主に海藻や海草を食べていたと考えられており、その生態は現在の海牛やマンタのような食生活に似ていたとされています。
 

18世紀半ばから人間の探検家や商人がステラーカイギュウの生息地を訪れるようになり、主な狩猟対象となりました。
肉や油、骨などが重宝され、商業的な狩猟が盛んに行われるようになったのです。
こうして狩猟による捕獲や乱獲が続く中で、繁殖活動に必要な安全な環境が減少し、生息地の喪失が進みました。

 

最後の確認されたステラーカイギュウの個体は、1768年に捕獲されたものとされています。 
その後、科学者や探検家による調査で、生息の証拠が見つからなくなり、絶滅が確定したといわれています。
 

2.タスマニアタイガー/フクロオオカミ
 

 
タスマニアタイガー、またはフクロオオカミは、オーストラリアのタスマニア島に生息していました。
 

名前の由来である「タイガー(トラ)」のような縞模様を背中に持ち、オオカミに似た姿をしています。
主に夜行性で、単独または小さな家族群で行動していました。
 
カンガルーやワラビー、小型の哺乳類、鳥類などを捕食していたといいます。
 

19世紀後半から20世紀初頭にかけて、タスマニアタイガーは家畜を襲う害獣と見なされ、政府によって懸賞金がかけられました。 
このため、過剰な狩猟が行われ、個体数が急減しました。
  
また、森林の開発や農地の拡大に伴い、生息地が急速に減少したことも絶滅の理由のひとつと考えられています。

野生での最後のタスマニアタイガーの目撃は1930年代初頭とされています。 
飼育されていた個体の最後の1頭は「ベンジャミン」と呼ばれ、
 
ホバートのボーマリス動物園で飼育されていましたが、1936年9月7日に死亡しました。
 

3.リョコウバト
 

 
北アメリカに広く分布していた鳩の一種で、その大規模な群れで知られていました。
 

体長は約40cm、翼を広げると約75 cmに達し、灰色の羽毛とその胸に見られる美しい青みがかった色が特徴でした。
また、頭部には青みがかった緑色の光沢がありました。 
主に種子や果実を食べる種子食性で、繁殖期には大きな群れを作り、広範囲にわたって移動しました。
 
その大群は、空を覆うほどの広がりを持ち、移動する様子は壮観であったといいます。

 

19世紀中頃から、商業的な狩猟の対象となり、美味であったとされるその肉や、羽毛の需要が高まりました。 
特に、皮革製品や装飾品に使われる羽毛は高値で取引されたため、 移動中の大群が狙われ、数多くの個体が捕獲されました。
 

さらに農地開拓や都市開発により、旅鳩の生息地である広大な森林が切り開かれ、巣作りに適した場所が減少しました。
これにより、繁殖活動が困難になったことも絶滅の一因と考えられています。
 

こうして旅鳩の個体数は著しく減少し、最後の野生の個体に関する記録は1900年代初頭であったといわれます。
 
飼育された個体の最後のリョコウバトは、オハイオ州のシンシナティ動物園で飼育されていたメスの旅鳩でしたが1914年9月1日に死亡しました。
広範囲にわたる群れが消失したことで、植物の種子散布の役割が失われ、特定の植物の繁殖に影響を及ぼし、生態系のバランスに大きく影響を与える結果となりました。
 

4.カロライナインコ
 

 
カロライナインコは、かつて北アメリカに広く分布していたインコの一種です。 
美しい緑色の羽毛を持ち、頭部と肩には鮮やかな黄色と赤色の斑点があるのが外観の特徴といえます。
 

主に森林や湿地、河川沿いの地域に生息していました。果実や種子、ナッツを主食とし、特にヒマワリやイチジクを好んで食べていました。
非常に社交的で騒がしい鳥であり、群れで移動する際には大きな音を立てていました。 
集団での生活を好み、危険が迫ると一斉に飛び立つ習性があったといいます。
 

カロライナインコは羽毛が美しく、特に女性の帽子の装飾品や、ペットとしても人気があったため、乱獲される対象になっていました。
 
また、農作物を食ベ荒らす害鳥と見なされ、農民によって駆除されることもあったそうです。 
さらには農地開発や都市開発に伴い、カロライナインコの生息地である森林や湿地が急速に失われました。 
こうした開発によって食料や繁殖場所が減少したことが、生息数を減らした要因であると考えられています。
 

野生でのカロライナインコの目撃は、19世紀後半から20世紀初頭にかけて急速に減少しました。 
最後の確実な目撃記録は、1904年にフロリダ州で記録されたものです。
 
また、最後に確認された飼育個体は、シンシナティ動物園で飼育されていたもので、最後の個体は1918年に死亡しています。

 

5.クアッガ
 

 
南アフリカに生息していたシマウマの亜種で、独特の外見を持つ動物でした。 
草食性で、群れで行動し、他のシマウマやアンテロープと一緒に放牧されることもありました。
 

シマウマの一種ですが、全身に縞模様があるわけではなく、体の前半分にのみ縞模様があり、後半分は茶色の無地でした。 
この独特の模様は、クアッガを他のシマウマと容易に区別できる特徴です。
 

19世紀に入ると、ヨーロッパからの入植者が増え、クアッガは大量に狩猟されました。
その肉や皮が求められ、特に皮は商業的に高値で取引されたためです。
 

また、農地開発や放牧地の拡大により、クアッガの生息地である草原が急速に減少しました。
これにより、食料の不足や生活圏の狭小化が進みました。
 

野生でのクアッガの最後の目撃記録は1870年代後半といわれます。 
最後に確認されたクアッガの飼育個体は、アムステルダム動物園で飼育されていたもので、1883年に死亡しました。 
これを最後にクアッガは絶滅したとされています。
 

近年では、クアッガの遺伝的な近縁種を用いて、クアッガの特徴を持つ個体を再現する「クアッガ・プロジェクト」が進められています。
このプロジェクトでは、選択的な繁殖を通じて、クアッガに似た外見を持つシマウマを再び自然に戻すことを目指しています。
 

6.ハシナガチョウザメ
 

 
中国の長江に生息していた世界で最も大きな淡水魚の一種で、体長が最大で3メートルを超える大きさを誇ります。
 

英名で「Chinese Paddlefish」または「Chinese Swordfish」 の名前の由来となった、パドルや剣を連想させる長くて平たい口まわりの形状が特徴です。
 
河口や沿岸の海域で成長し、成熟すると河川を遡って産卵しました。食性は主に魚食性で、小型の魚や甲殻類を捕食していたとされます。
長江での商業漁業が活発になるにつれ、過剰に漁獲されたことで生息数は減少していました。
 
さらに大型ダムの建設によって、ハシナガチョウザメたちの回遊経路が遮断され、産卵場所へのアクセスを妨げたことも、個体数の減少に拍車をかけることとなっていきました。

 

最後の確実な目撃記録は2003年であり、その後の調査で生存個体が発見されることはありませんでした。
こうのような調査結果に基づき、2022年には国際自然保護連合(IUCN)がハシナガチョウザメを「絶滅」と正式に宣言しました。
 

7.ニホンオオカミ
 

 
ニホンオオカミは、日本にかつて生息していたオオカミの一種で、東北地方から九州地方まで広く分布していました。

 

体長約100cm前後で、肩高約50cmと比較的小型のオオカミで、毛色は灰色から茶色が一般的です。 
冬毛は特にふわふわとしていたようです。 
山岳地帯や森林に生息し、主にシカやイノシシなどの中型哺乳類を捕食していました。 
群れで行動することが多かったとされていますが、単独での行動も見られました。

日本の伝統文化や民話に登場し、守護神として崇拝されることもありました。
特に農村部では、農作物を守る存在として敬われていたようです。
 

明治維新以降、日本で急速な近代化と農地開発が進んだ結果、森林伐採や生息地の分断が進みニホンオオカミの生息地が大幅に減少しました。
また、西洋の農業技術の導入に伴い、ニホンオオカミは家畜を襲う害獣と見なされるようになり、駆除の対象となったことも絶滅の要因となりました。
 

二ホンオオカミの最後の確実な目撃記録は、1905年に奈良県で捕獲された個体とされています。
その後は、ニホンオオカミであった可能性が指摘される事例があったものの、確実な立証はできず現在に至っています。

 

8. ピレネーアイベックス
 

 
スペインとフランスのピレネー山脈に生息していました。
 
体長約1.2メートル、肩高約75~90センチメートルで、オスは大きく湾曲した立派な角を持っていました。
メスの角はオスに比べ小さく、曲がりも少ないです。
毛色は季節によって変わり、夏は薄い茶色、冬は濃い茶色や灰色になります。
 

主に高山の岩場や急斜面に生息し、草、葉、樹皮などを食べる草食動物でした。 
群れで生活し、オスは繁殖期以外は単独または小さなオスの群れで行動しました。
繁殖期にはオス同士が角を使って争い、メスを獲得します。

 

19世紀から20世紀初頭にかけて、ピレネーアイベックスはスポーツハンティングの対象となり、大量に狩猟されました。
特にその立派な角はトロフィーとして人気があったといいます。

 

また、森林伐採や農地の拡大により、アイベックスの生息地が縮小し、適した生息環境が減少しました。
こうして20世紀後半には、ピレネーアイベックスの個体数は急激に減少し、最終的に、2000年1月に絶滅が確認される結果となりました。

 

このピレネーアイベックスは、絶滅した動物種をクローン技術で復活させる最初の試みの対象となりました。
2003年にスペインの科学者たちが、最後の雌から採取された細胞を使ってクローンを作成したのです。 
しかしながらそのクローンは生後数分で呼吸器の異常により死亡するという結果に終わり、
種の復活には至りませんでしたが、この試みはその後の科学研究に大きな影響を与えました。

 

9.フォークランドオオカミ
 

 
南米フォークランド諸島に生息していたオオカミの一種です。
 
草原や海岸沿いに生息し、主に海鳥、ペンギン、魚、昆虫などを食べていたとされます。
中型の肉食哺乳類に分類され、体長は約1メートル、体重は約10〜15キログラムほどでした。
毛色は灰色から茶色で、ふさふさとした尾を持っていました。顔つきはキツネに似ており、鋭い目と短い耳が特徴です。
 

18世紀後半からヨーロッパの入植者がフォークランド諸島に到来しました。 
彼らは羊を含む家畜を持ち込みましたが、フォークランドオオカミが家畜を襲うことが問題となりました。 
そのためフォークランドオオカミは大規模な駆除の対象となり、特に19世紀初頭には、狩猟が急激に増加しました。
 

このような乱獲の一方で、入植者による土地開発や農業の拡大により、餌となる動物の減少や生息環境の破壊も進行していきました。
それに伴って、フォークランドオオカミの生息地は大幅に減少し、やがて絶滅へと追い込まれていったのです。 
フォークランドオオカミの最後の確実な記録は、1876年のものとされています。

 

まとめ
 
ここまで、産業革命以後に絶滅した生き物についてみてきましたが、ここで紹介した動物・種というのはほんの一例にすぎません。
 

IUCN(国際自然保護連合)の絶滅危惧種レッドリストによれば、過去500年間で約900もの種が絶滅したとされています。
 
そのうち、多くは産業革命以後(約1800年以降)に絶滅しました。
 
絶滅種の正確な数を知ることは難しいですが、産業革命以後の人間の活動が地球の生態系に大きな影響を与えていることは間違いありません。
 

狩猟、森林伐採、生息地の破壊、汚染、外来種の導入、気候変動など―。
豊かさと発展を追い求める私たち人間の活動による影響は大きく、数多くの種が失われる結果となりました。 
このことは、私たち人類のエゴ、利己主義がもたらしたものであるとも言えるのではないでしょうか。
そして失われたものは二度とは戻ってきません。
 

また、すでに失われた生き物たちに続くように、今まさに絶滅の危機に瀕し、失われようとしている種も数多く存在しています。
私たち人間だけの都合や豊かさの為に、こうした悲劇を繰り返してはならないでしょう。

 

これまでの数多くの絶滅の事例を教訓にして、私たちは学び、これからに生かしていく必要があるはずです。
同じ世界、同じ地球に共に生きる仲間として、こうした種・生き物たちに目を向けることが大切です。
 
 
 
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