
お釈迦さまの前世における物語をはじめ多くの仏教典には、牛さんや象さんなどの動物から、鳥さんや昆虫、さらには空想上の生き物まで、さまざまな生き物のエピソードが記されています。
仏教における動物観や動物に託された教えについてご紹介いたします。
その中でも愛らしく人気のある動物「わんちゃん」が登場するお話です。
『世界中で愛される動物』
わんちゃんは最も古く人に飼われた動物と言われています。世界中で200以上の種類があるといわれています。
わんちゃんの起源には諸説ありますが、約1万5千年前に中近東で狼が家畜化したと考えられ、その家畜化した狼が、アジア、ヨーロッパ、アメリカの順番に広がっていったという説が有力とされています。
日本には、飼い主が亡くなった後も約10年にわたって東京の渋谷駅に通い続けた「忠犬ハチ公」や、南極観測隊員とわんちゃんの絆を描いた南極物語に登場した「タロ・ジロ」など、わんちゃんというと主人に忠実・従順というイメージがありますよね。
仏教の中で伝えられている説話のなかにも、お釈迦さまが白犬としてこの世に生まれていた時のことが記されています。今回はその物語の中からひとつご紹介いたします。
『犬の教訓』

昔、バーラーナシー(インドの都市)の都のある墓地に数百の野犬の群れが住んでいました。
群れを率いているのは、一匹の白犬でした。野犬に似ず神々しいほどの美しい毛並みで、その姿は威厳に満ちあふれていました。
ある時、ブラフマダッタ王の馬の革の手綱が、夜の間に食べられてしまうという事件が起きました。周囲の足跡を調べてみると、それは犬のものでした。そこで家来たちは、王さまに報告しました。

「犯人は、どうやら野犬のようでございます。下水口をつたって城内に入ったのに違いありません」
王さまは、犬たちにたいそう腹を立て、「犬どもを見つけ次第殺してしまえ」と命令しました。
それ以来、犬たちには大きな災難が生じました。野犬たちは、見つかり次第次々と殺されてしまうため、墓地に住む白犬のところへ逃げてきて助けを求めました。
「手綱を食べたのがだれなのか、知っているものはいないのか」
「いろいろ調べてみましたが、食べた者はだれ一人いません。第一、厳重に柵の打ち込まれた下水口から城内へ入るなど到底できるものではありません。そうなると、王宮の飼い犬以外には考えられないのです」
「よしわかった。お前たちは、もう何も恐れることはない。今から私が王宮に行き、無謀な虐殺をやめるよう、王さまに進言してこよう」
白犬はそう言うと、「私の身に、決して危険が及ばないように……」と呪文を唱えて、一人で王宮に入りました。不思議なことに、誰一人止める者はいませんでした。
王宮に入ると、白犬は玉座の下にもぐり込みました。家来たちは、驚いて捕まえようとしましたが、王さまは止めました。
白犬は玉座の下から出て一礼し、王さまに話しかけました。
「王さまは、どのような罪で私たちを殺そうとなさっているのですか」
「わしの愛馬の手綱を食べたのだ。だからわしは、犬という犬を殺せと命じたのだ」
「それでは、犬という犬はすべて、一匹残らず殺してしまうのですか」
「すべての犬といっても、王宮の犬だけは別だ」
「大王よ、あなたはご自分の愛馬や愛犬がかわいいばかりに、王としての道をお忘れになっています。一国の王たるものは、物事を判断することについては、秤のようにどちらにも片寄らないものであらねばなりません」
そう言ってから、白犬は詩を唱えました。
王家において養われ、
育ちよく、美しさと力を そなえた犬たち、
かれらは殺されず、われらが殺される。
これは同じ殺しではない。
これは弱いもの殺しだ。
王さまは白犬の言葉を聞いて言いました。
「では、お前は犯人を知っているのか」
「知っています。手綱を食べたのは、王宮の飼い犬たちです」
「なに、どうしてそれが分かるのか」
「それでは今からその証拠をお見せしましょう。家来に王宮の飼い犬を連れてきて、バターと薬草を持って来させてください」
王さまは言われたとおりにしました。
やがて、王宮の飼い犬たちが連れ出され、白犬は、薬草をバターの中でつぶし、その汁を犬たちに飲ませると、飼い犬たちは革を吐き出しました。
それを見た王さまは深く恥じ入って白犬に頭を下げました。
白犬は正義を説きました。王さまは毎日、白犬をはじめとするすべての野犬に自分と同じ食事を振る舞い、白犬の教えを一生守り続けました。
『正義を説く』

お釈迦さまは王子として生まれる前、さまざまな生き物として生まれ変わり、幾度となく善行を積んだ結果、ブッダ(覚者)となりました。
このお話は、お釈迦さまがジェータ林に滞在していた時に、弟子たちに同族を利する行いについて語られたものです。
登場する白犬はお釈迦さま、王さまは十大弟子の阿難尊者の前世の姿です。
いわれのない罪で野犬を迫害する王に、智慧のある白犬が王としての歩むべき道を説いて心を改めさせました。
智慧と不殺生、正義の大切さを表しています。
お釈迦さまも、十大弟子の阿難尊者も何度も生まれ変わり、善行を積んでブッダになり、お釈迦さまの教えから学びをえて悟りを開き仏弟子になりました。
そして、ただ単に王さまとお釈迦様の間の問答ではなく、己が自分(王さま)とお釈迦様としてとらえ、自分の行いを見つめなおす機会とうけとることが大切です。
「私は王さまではないけど」とお思いでしょうが、あなたの行動を決めるのはあなた自身。そうです、あなたは唯一のあなたを利する王さまとも言えます。
身の上に都合の悪いこと(大切な手綱が奪われた)が起きた時、他人のせいにしたり、先祖のせいにしたり、他の要因のせいにしたりする事はありませんでしょうか。自分自身の言葉や行為を省みることなく、なにかのせいにしてそれを悪者に仕立て上げる姿は、物語中の王さまとなんら変わりありませんよね。己の「正しい」と信じているものは、本当に正しいものか考えること。その大切さを教えてくれるのが、この物語の本質としてあるのではないでしょうか。
また、これは余談ですが物語の中といえ、王さま(人間)と白犬(動物)との間で普通に会話が出来ているところが、またお釈迦さまらしい尊厳を感じさせます。
私たちもわんちゃん、ねこちゃんと実際に会話(意思疎通)ができたら、どんなに楽しい事でしょう。逆に会話ができないからこそ愛らしく思えるという方もいらっしゃるかもしれませんね。
『神仏を守護する 狛犬』

寺院や神社の境内でよく見かける狛犬。恐ろしげな顔をして、たてがみもあるこの動物を「狛犬」というのは、少し変だと思うかもしれません。私たちの知っている愛らしいわんちゃんとは、印象が違っていて、むしろ猛獣と言うほうがふさわしいですよね。
昔の日本人もこれには悩んだようで、狛(現在の朝鮮半島)から来たわんちゃんだと考えたり、隼人(昔の九州南部に居住したとされる人たち)がわんちゃんの声をまねて天皇の警固をしたことにちなむと解釈をされています。
しかし、本来の起源は、仏菩薩像を守護するために、その前に2頭の獅子(ライオン)を置いたことにあり、中国の唐時代に仏教とともに日本に伝えられたとされています。奈良時代までは獅子2頭でしたが、平安時代に入ると、獅子と狛犬の組み合わせが登場しました。
一般的に、向かって右側の獅子像が口を開いており(「阿形」)、左側の狛犬像が口を閉じ(「吽形」)、古くは角を持っていました。
これは、同じく阿形像と吽形像がある仁王像と同様、日本における仏教観を反映したものと考えられています。

沖縄のシーサー(わんちゃんではなく獅子)も2体一対で設置されます。正面から見て右側、口を開けいるのが雄で厄災を飲み込み、左側の口を閉じているのが雌で幸運を逃さないといわれています。
狛犬をあまり意識して観察することはないかもしれませんが、皆様も寺院や神社を参拝されるさいに狛犬を見かけたら、どちらが獅子でどちらがわんちゃんなんだろう?と観察してみてくださいね。古い寺院や神社であれば、わんちゃんには角が生えているかもしれないですね。
『わんちゃんは宗派によって描かれ方に違いある。』
チベット仏教
チベット仏教とは、チベット周辺地域に広く信仰されている宗派。ヒンドゥー教の影響を受けながら発展していった宗派と言われています。
ダライラマという高僧を崇拝している宗派になります。
チベット仏教では「ドギャル」というわんちゃんの神が存在しているそうです。
「ドギャル」は病気や悪霊を払う神とされているそうですよ。
イスラム教
イスラム教でもわんちゃんに対する考え方が存在します。
イスラム教の聖典では、わんちゃんに触る、わんちゃんの体液に触れることは不浄とされています。
海外の空港で麻薬探知や爆発物探知のためのわんちゃんがイスラム教徒の人の体を検査しようとして「イスラム教徒への宗教的嫌がらせだ」と主張して検査を拒否、問題になったこともあるそうです。野良犬を見ると石を投げるのが敬虔なムスリムの行動などと言われているほどです。
ヒンドゥー教
ヒンドゥー教の神話では、「ラーマ王子」が妻である「シータ」を救う旅にでます。旅の途中でわんちゃんと出会いますが、このわんちゃんが犬神ダッタ―トレーヤの化身です。ラーマを支援するために現れます。このわんちゃんは自分のことを「ハヌマーン」と言い、冒険に加わり、シータを救出するために力を貸してくれます。
ヒンドゥー教では、わんちゃんは死の神ヤマの使いと信じられており、神聖な存在。 ネパールのヒンズー教徒は、地獄に落ちないためにわんちゃんを幸せにしなければならないと信じてられているそうです。 5日間にわたる光の祭典、ディワリの一環として、丸一日がわんちゃんを崇拝する日もあるそうです。
キリスト教
わんちゃんは、悪魔の化身である猫と対比されています。 宗教画において、夫への貞節の象徴として、女性のそばにわんちゃんが描かれることがあり、また、婚姻を誓う場面にもわんちゃんが描かれることがあるそうです。
しかし、福音を理解できないという意味で、「聖なるものをわんちゃんにやるな」と言われ、わんちゃんと豚さんが愚か者の比ゆとして用いられることもあるそうです。
ちなみに聖書において羊さんは重要な動物で、「聖書の動物」そのものと言われています。
あとがき
こうして一部の宗教の中でも、わんちゃんを神と崇める事もあれば、悪ととらえる事もあります。もし、日本が「宗教上、わんちゃんは不浄な動物である」という国だった場合はどうでしょうか?わんちゃん達はおろか愛犬家の存在すら許されなくなります。
また、社会的にもわんちゃんが敵視される可能性もあります。実際、戦争末期には「この非常時にペットを飼うのは非国民だ!」などと非難されたこともあったそうです。
現代の日本でのわんちゃん、ねこちゃん達はご家族同様に扱われ、私たち人間にとっても癒しの存在として大きな役割を担っています。お互にとってWin-Winの関係であると言えます。これからも今まで同様に人間と動物が健やかに共存できる世界がつづけばよいなと願うばかりです。
#ペット火葬 #ペット霊園 #セレモニー #犬ちゃん #猫ちゃん #葬儀 #供養 #ペットロス
ペット愛葬社 堀
福井動物霊苑
910-0818
福井県福井市堂島町110 0776-54-5073
ペットセレモニー室 ペット火葬場 ペット納骨堂
サンドーム北動物霊苑
916-0042
福井県鯖江市新横江1-816 0778-54-0005
ペットセレモニー室 ペット火葬場 ペット納骨堂
大安寺動物霊苑
910-0044
福井市田ノ谷町(大安禅寺敷地内)0776-59-1760
ペット納骨堂 ペット霊苑
セレモニープラザあわら
919-0737 あわら市権世 0776-74-1182
動物火葬場 ペット火葬場 ペット霊園
石川店
西部緑地動物霊苑
ペットセレモニー室 ペット火葬場 ペット納骨堂
小松ペット霊園
ペットセレモニー室 ペット火葬場 ペット納骨堂
金沢寺町動物霊苑
ペットセレモニー室 ペット納骨堂
セレモニー森本
ペット火葬場 動物火葬場
